数年前いや数十年前に成人の日を終えて
1月22日が私の誕生日なのですが、成人の日に両親に感謝の気持ちを伝えられなかったことを非常に後悔しています。
ぼくの誕生日。この寒い季節に母親が一生懸命に命を懸けて産んでくれたこと。
人間がひとり誕生するのにどれくらいの苦労がかかったことだろうか。どれだけの愛情を注いでくれたことだろうか。
そんなことを考えていると永遠に終わらない無限ループのようで、命は粗末にできないな〜と毎回思う。
年末年始やお盆に帰省できないのはこのコロナのご時世致し方ないことだと思う。ただ、本当に気が向いた時でいいので両親に顔を見せてあげよう。
言葉なんていらないのだ。
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もし、この記事を見て両親の顔を少しでも思い浮かべたら、
ぜひ連絡を取ってあげてほしい。
それだけでも素晴らしい親孝行だ。
父が還暦を迎えて数年が経過しました。
還暦というのは60歳を迎えることで、12の干支がちょうど5回回ってきたことになる。
実は私の祖父はちょうど60歳で亡くなっている。
自分の親の年齢を超えて生きることを父は何か重く噛みしめているようだ。
自分もそこまで生きれるのかわかりませんが、
60年て本当にすごいと思う。
今の世の中って、ストレスも溜まるし、便利な暮らしで運動不足にもなるから悪循環で健康寿命はこれ以上伸びないんじゃないかなと感じる。逆に一般的な寿命は医学的な進歩に伴い、本当に120年でも生きていると思う。
長生きとか、超高齢化社会とか言ってはいるけど、
実際、病院にも掛からず元気なお年寄りは何人いるんだろ??
最近思うんだ。
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長く生きることより、
密の濃い人生の方がカッコイイし、楽しいと思う。
父親について
父はもう25年近く、朝早くから新聞配りを続けている。
凍えるような寒い日も、雨が降りしきる暴風の日も。
具合が悪い日も、お酒の飲み過ぎで疲れた次の日も。
「新聞配り」って聞くと世間では貧乏とかお金が無いとか想像する人もたくさんいると思う。
確かにお金を多くは持っていないが、決して学校へ行く学費が足りないほど貧乏なわけでは無い。
ぼくも確か、5年くらいは手伝っていた気がする。
寒いし、朝早くて暗いし、おまけに雨が降った日は大切な新聞紙が濡れないように保護しながら配らなければいけないのでかなりの精神的労力を要する。
それを25年も続けているぼくの父は、尊敬以外の何者でも無い。
ここでしか言えない父へのメッセージ
普段面と向かって言えるほど、ぼくの肝は座ってはいない。
写真もまともに撮られたくなく、人前で涙も流さない父は昭和の男だなって思う。
本当にぼく以上に真面目で仕事も畑仕事、農業、加えて時々こんにゃく作りまでするスーパーマンみたいな人だ。
だけど最近は、到底追いつけない親の背中を追いかけてる気がしたけど。
その背中も次第に小さくなっていることに僅かだが感じ取れるようになってきた。
両親には好きなことをして余生を過ごしてもらいたいと思う。
生きたい場所へ行き、食べたいものを食べ、
読みたい本を読み、観たい映画を観て。