どうも。
旅するようにゆるりと生きる、けーたです。
訪れた国々を思い出しては、その余韻に浸っている毎日で特に何をしようというやる気も起きない。
昨夜、夢でミャンマーへ行った時の夢を見ました。
旅で出逢った人たちが僕に助けを求めているのか、それとも命を落としてしまったのか。
出逢いと別れはいつも突然やってくるものです。先日も市民が100人以上も虐殺されました。何もできない。
ただ毎日のように朝起きて一日をなんとなく暮らしている自分がもどかしくて仕方が無いです。きっと、ミャンマーという国へ足を踏み込まなければ僕はこんな感情も生まれなかったことでしょう。
ミャンマーは、異文化という言葉の意味を体に叩き込ませてくれた国でもありました。
おかげで、この後に行くインドでもひとりの旅人として違和感なく国に溶け込むことができた気がする。
ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်
ビルマ語です。難解ですが、ミャンマーの国名です。
ミャンマーのカローにて
カローとは、ミャンマー東部シャン州のタウンジー区にある、標高1,320mの避暑地です。
カローからインレー湖へ抜けるトレッキングツアーが有名で参加してみました。
海外へ来てまで山登りである。山の道具なんて一切用意していないのに、その時のノリとよくわからないガイドに誘われるがままツアーに参加していた自分がいた。
ツアーの参加者たちは、みんな登るペースが速くて、僕は付いていくのに必死だった。
とにかくアクティブな人が多く、人生を楽しんでいる彼らの瞳はとても輝いていたのが印象的だ。
総距離は3日間で50キロあまり。
道中の2泊は、山岳民族の村に泊めてもらう。
山中はカロー以上の冷え込みで、上下数枚ずつ服を着込んだ上、
毛布を3枚もらっても、夜中に寒さで目が覚める。
とても素敵なツアーで満足しているのだが、
いろいろ気になってしまうこともある。
「少数民族の方は、どんな思いで自分たち旅行者を受け入れてくれているのか」
「ツアー中の食事はガイドが毎食つくってくれるのだが、外国人好みの味付けにしてくれていること」
「ガイドはお菓子一切れでも、参加者から物を貰ってはいけない決まりがあること」
そんなこと気にせず楽しめよ。
性格悪いな。と我ながら思う。
途上国の観光地ではどこでも同じようなことが起きている。
それを、ネガティブに捉える必要はないかもしれない。
観光資源があるだけ、恵まれているとも言える。
先進国の人間は、「その国らしい生活が見たい」と気軽に言う。
だけど、少し都市部を離れただけで、食事から寝る場所から全てをお膳立てしてもらわないと、一人では子どものように何もできない自分がいた。
食事だって、本当に現地の人が普段食べているのと同じものを食べ続けることは、我々旅行者には多分できない。
旅行で訪れたくらいで、その国のことをわかった気になるのは恥ずかしいことだ。
新型コロナとクーデター。度重なる観光業への打撃でこの民族はどうやって生きているのかかなり気になっている。だけど、自分も曖昧な日常に流されながら日々を過している。
彼らのことを心配している場合ではない。
僕も僕なりに生きていかなければ。