
最近、AIを使っていて疲れませんか?
文章を書けばAI。
画像を作ればAI。
検索すればAI。
メールを書こうとすればAI。
「今日の夕飯、何にしよう?」
……そのうちAIが「冷蔵庫に卵があります」と言い始めそうです。
便利になったはずなのに、なぜか疲れる。
これは一体どういうことでしょうか。
今回は「AI疲れ」を、科学と文化人類学という少し変わった組み合わせで考えてみます。
AI疲れとは何なのか?
まず、AI疲れには医学的に決まった一つの病名があるわけではありません。
ここでいうAI疲れとは、
- AIの情報量が多すぎる
- 新しいAIサービスについていけない
- AIを使わないと遅れている気がする
- AIで何でも効率化しようとしてしまう
- AIが作った文章や画像を見ることに飽きる
- 「もっとAIを活用しなければ」と焦る
といった状態をまとめて表現したものです。
特に面白いのが、
「AIを使うことで楽になったのに、AIを使わなければならないことに疲れている」
という現象です。
なんとも人類らしい矛盾です。
人類は「便利」に弱い?
考えてみれば、人類はずっと便利な道具を発明してきました。
火を使えば料理が楽になります。
車を使えば移動が楽になります。
スマートフォンを使えば遠くの人とも連絡できます。
そしてAIを使えば文章まで作ってくれます。
ここまで聞くと、
「人類、ついに完全勝利では?」
と思いたくなります。
ところが現実には、
「便利になったのに忙しい」
という謎の現象が起きています。
なぜでしょう?
文化人類学から見る「便利」の罠
文化人類学では、人間の生活を単純に「便利・不便」だけでは考えません。
ある社会で便利なものが、別の社会では必要とされないこともあります。
例えば、現代人にとってスマートフォンは生活必需品に近い存在です。
しかし、スマートフォンが存在しなかった時代の人々は、それなしで普通に暮らしていました。
つまり、
便利な道具は、生活を楽にするだけではなく、新しい生活習慣も作ります。
AIも同じです。
AIが登場すると、
「AIでできること」
が増えます。
すると今度は、
「AIでやったほうがいいこと」
まで増えていきます。
そして最終的には、
「AIを使わないと損している気がする」
という感覚まで生まれてくる。
便利のはずが、いつの間にか義務になっています。
「AIを使わないと遅れる」という謎の恐怖
AI時代になってから、よく聞く言葉があります。
「AIを使える人にならなければ。」
もちろん、新しい技術を学ぶことは悪いことではありません。
でも、全員が最新AIを追い続ける必要があるのでしょうか。
新しいモデルが登場する。
↓
新しい機能が追加される。
↓
新しいAIサービスが登場する。
↓
SNSで「これを知らないと損!」という投稿が流れてくる。
↓
慌てて試してみる。
↓
3日後には別のAIが話題になる。
……。
これはもう、
AI版・流行ファッション戦争
です。
昨日の最先端が、今日には「懐かしいAI」になっている。
人類、なかなか忙しい生き物です。
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昔の人は「情報が少ない」ことで困っていた
現代人は、歴史上かなり特殊な環境にいます。
昔なら、本を一冊読むために図書館へ行く必要がありました。
今ならスマートフォンを開けば、世界中の情報が出てきます。
さらにAIに質問すれば、その情報を整理してくれます。
これはものすごい進歩です。
しかし、人間の脳そのものが急にアップデートされたわけではありません。
数千年前の人間と、現代人の脳は基本的な仕組みを共有しています。
なのに私たちは、
原始人級の脳で、インターネットとAIという情報の洪水を処理している。
そう考えると、疲れるのも少し納得できます。
AIは「答え」を増やした。でも「問い」は減っていない
AIに質問すれば、かなりの確率で答えが返ってきます。
文章も作れます。
アイデアも出せます。
要約もできます。
翻訳もできます。
画像まで作れます。
しかし、AIがどれだけ進化しても、
「自分は何をしたいのか?」
という問いを完全に代わりに考えてくれるわけではありません。
むしろAIによって選択肢が増えたことで、
「結局、自分は何を選べばいいの?」
という問題が大きくなっています。
便利になった結果、人生のメニュー表だけが巨大化した。
そんな感じです。
「何もしない時間」が贅沢になる
ここで少し昔の生活を思い出してみます。
散歩する。
本を読む。
ぼーっとする。
喫茶店でコーヒーを飲む。
図書館で意味もなく本棚を眺める。
窓の外を見る。
現代では、こうした時間にもスマートフォンが入り込んできます。
「ちょっと休憩しよう。」
スマートフォンを見る。
SNSを見る。
AIニュースを見る。
新しいAIサービスを見る。
気づけば30分経過。
「……全然休んでないじゃん。」
こうして私たちは、
休憩中まで情報収集をする人類
になりました。
AI時代こそ「アナログ」が面白い
AI疲れを感じたとき、さらに新しいAI対策アプリを探す必要はないかもしれません。
むしろ逆です。
本を読む。
紙にメモする。
散歩する。
人と話す。
料理する。
絵を描く。
何も生産しない時間を作る。
こうした行動は、一見すると非効率です。
でも人間の文化を振り返ると、非効率な行動には意外な意味があります。
祭り。
雑談。
食事。
物語。
音楽。
芸術。
これらは「効率よく成果を出す」ためだけに存在しているわけではありません。
人間は昔から、
役に立たないことを楽しむ能力
を持っていました。
もしかすると、これこそAI時代に守るべき人間らしさなのかもしれません。
AIを「使う」のではなく「使い分ける」
AIを全部使う必要はありません。
毎日の生活で、
「これはAIに任せよう。」
「これは自分でやろう。」
と分ければいい。
例えば、文章の誤字チェックはAI。
大量の情報整理もAI。
でも、旅行先で感じたことを書くのは自分。
本を読んで何を感じたかも自分。
家族との会話も自分。
散歩中に見つけた夕焼けも自分。
そんなふうに境界線を作る。
AIに仕事を奪われるかどうかだけを考えるのではなく、
「AIに任せたくない人間の領域はどこなのか?」
を考えることも、これからの時代には面白いテーマになりそうです。
まとめ|AIに疲れたら、人間に戻ればいい
AIは素晴らしい技術です。
私自身も、文章を書いたり情報を整理したりするときには非常に便利だと感じます。
でも、便利だからといって24時間使う必要はありません。
人類は何万年もAIなしで生きてきました。
少しぐらいAIから離れても、人類は滅亡しません。
むしろ、
「今日はAIを使わない。」
と決めて、本を一冊読んだり、散歩したり、誰かとくだらない話をしたりする。
そんな時間が、これからますます贅沢になるのかもしれません。
AIが賢くなればなるほど、
人間は「何もしない自由」を大切にする。
なんだか皮肉ですが、これもまた人類の歴史らしい話です。
便利な道具を作り続けた結果、
最後に欲しくなったのが「何もしない時間」。
さて、今日くらいはAIを閉じて、コーヒーでも飲みますか。
……と言いながら、この記事はAIで書いています。
人類、まだまだ修行中です。