
「日本人は○○だ」
「フランス人は○○だ」
「アメリカ人は○○だ」
「○○民族はこういう性格らしい」
……ちょっと待ってください。
人類、人を分類するのが好きすぎませんか?
スーパーでは野菜を「葉物」「根菜」と分類し、図書館では本を「文学」「歴史」「科学」に分類する。
そして人間まで、
「あなたはどこの民族ですか?」
と分類する。
いや、人間ですよ。
ちゃんと生きています。
今回は、そんな「民族」という言葉を、文化人類学の視点からちょっとコミカルに考えてみます。
民族とは、そもそも何なのか?
民族をものすごく簡単に説明すると、
共通する文化や歴史、言語、宗教、生活習慣などを持ち、「自分たちは同じ集団だ」と認識する人々のまとまり
と考えることができます。
ただし、ここが重要です。
民族には、世界共通の「これが民族です!」という単純な条件があるわけではありません。
言語が共通しているから民族。
宗教が同じだから民族。
同じ土地に住んでいるから民族。
……というように、単純には決められません。
人間社会は、そんなに都合よく整理整頓されていないからです。
むしろ、
「人間社会、めちゃくちゃ複雑です」
というのが正解に近いでしょう。
「民族」という箱に人間を入れてみる
人間は、分類するのが大好きです。
例えば、
- 日本人
- 中国人
- フランス人
- インド人
- アラブ人
- マオリ
- サーミ
- ベルベル人
- ユダヤ人
など、世界にはさまざまな民族集団があります。
ところが、一人の人間を見て、
「はい、あなたはこの箱!」
と簡単に入れられるかというと、そうでもありません。
例えば、ある人が、
母語はA言語。
父親はB民族。
母親はC民族。
育った場所はD国。
学校ではE文化。
家庭ではF文化。
仕事ではG文化。
本人は「私は○○だ」と考えている。
……。
もう分類担当者、泣きます。
「箱が足りません!」
民族は「血液型」みたいに単純ではない
民族について考えるときに気をつけたいのが、
民族=生まれつき決まっている生物学的カテゴリー
と考えてしまうことです。
人間の文化的な集団は、歴史の中で移動したり、結婚したり、交易したり、戦争したり、言語を変えたり、宗教を受け入れたりしてきました。
つまり、人類の歴史は、
「混ざる」ことの歴史
でもあります。
人間は昔から引っ越します。
恋愛します。
結婚します。
旅します。
商売します。
そして文化を持って帰ります。
結果として、
「あなたの文化は100%これ!」
という人間は、意外と少ないのです。
「私たち」と「彼ら」を作る人間
民族を考えるうえで面白いのが、
「自分たちは○○だ」
という意識です。
例えば、
「私たちはこの言葉を話す」
「私たちはこの祭りをする」
「私たちはこの歴史を共有している」
「私たちはこの土地にルーツがある」
という感覚です。
つまり民族には、
「自分たちは同じ仲間だ」
という意識が大きく関係します。
そして、その裏側には、
「じゃあ、あの人たちは私たちとは違うね」
という区別も生まれます。
ここが人間の面白いところ。
そして、ちょっと怖いところでもあります。
人類、仲間を作るのが大好き
考えてみれば、人間は日常生活でも似たことをしています。
「同じ学校」
「同じ会社」
「同じ趣味」
「同じ地域」
「同じファン」
「同じゲームをやっている」
これだけでも、
「なんか仲間ですね!」
となります。
ライブ会場で隣にいた人と、
「この曲いいですよね!」
と盛り上がった瞬間、もうちょっとした仲間です。
人間は、
共通点を見つけると仲間意識を作る
という、とても不思議な能力を持っています。
民族も、その延長線上で考えると少し分かりやすくなります。
「日本人だから○○」は本当に正しい?
ここで、よくある話に戻ります。
「日本人は真面目」
「イタリア人は陽気」
「ドイツ人は几帳面」
「アメリカ人は自己主張が強い」
……。
こういう話、楽しいですよね。
旅行中の会話でも盛り上がります。
しかし、文化人類学的には注意が必要です。
なぜなら、
民族や国籍を、そのまま個人の性格に変換することはできない
からです。
日本人にも大雑把な人はいます。
ドイツ人にも適当な人はいます。
イタリア人にも静かな人はいます。
アメリカ人にも人見知りはいます。
当然です。
人間だから。
「民族」という大きなカテゴリーから、一人ひとりの性格を完全に予測することはできません。
それでも「文化の違い」は面白い
では、
「民族なんて考えても意味がないの?」
というと、そうでもありません。
むしろ逆です。
民族や文化について考えると、
「自分が当たり前だと思っていたことも、実は当たり前ではない」
と気づけます。
例えば、
「家族とはこういうもの」
「食事はこうするもの」
「仕事とはこういうもの」
「休日はこう過ごすもの」
「結婚とはこういうもの」
「子どもはこう育てるもの」
こうした「普通」は、世界中どこでも同じではありません。
つまり、
自分の常識は、世界の常識ではない。
これは海外旅行をすると、とてもよく分かります。
海外旅行は「自分の常識」を壊す旅
海外旅行の面白さは、観光地を見ることだけではありません。
むしろ、
「えっ、そんなやり方なの?」
という小さな違和感にあります。
食事の時間。
挨拶。
人との距離。
家族との関係。
仕事に対する考え方。
お金の使い方。
時間の感覚。
休日の過ごし方。
日本では普通だったことが、海外では普通ではない。
そして帰国すると、
「……あれ?」
となります。
今まで当たり前だった自分の生活が、少し違って見えてくる。
これこそ、文化を知る面白さです。
「民族を知る」とは、人間を知ること
民族について学ぶとき、
「○○民族はこういう人たち」
と覚えるだけでは、少しもったいない。
大切なのは、
「なぜ人間は、こういう文化を作ったのだろう?」
と考えることです。
なぜこの言語が生まれたのか。
なぜこの料理が食べられているのか。
なぜこの祭りが続いているのか。
なぜ家族の形が違うのか。
なぜ「自分たちは同じ仲間だ」と感じるのか。
こうして考えていくと、
民族というテーマは、実は「外国人について勉強する話」ではありません。
人間そのものを考える話
になっていきます。
世界には「変な人」がいる。もちろん自分も含めて。
世界を旅していると、
「なんでそんなことするんだろう?」
と思うことがあります。
でも、相手から見れば、
「なんで日本人はそんなことするの?」
かもしれません。
さらに面白いのは、
お互いに相手を「変だ」と思っている可能性がある
ことです。
これは文化を学ぶうえで、かなり重要です。
「自分が普通で、相手が変」
ではなく、
「お互いに普通だと思っている」
と考えてみる。
すると世界の見え方が少し変わります。
民族を学ぶと「自分」が分かってくる
文化人類学の面白さはここです。
外国の文化を調べているはずなのに、
最終的には、
「自分はなぜこう考えるんだろう?」
というところに戻ってきます。
日本では当たり前だった食事。
日本では普通だった働き方。
日本では自然だった家族観。
日本では当然だったマナー。
それらを一度、世界の外側から眺めてみる。
すると、
「これって、別に人類共通じゃなかったんだ……」
と気づきます。
ちょっとした衝撃です。
そして、ちょっと自由になります。
まとめ:人類は「分類好き」だけど、人間はそんなに単純じゃない
民族という言葉は、とても便利です。
世界の文化や歴史を理解するための重要な手がかりになります。
一方で、
「○○民族だから、こういう人」
と決めつけてしまうと、人間の複雑さを見失ってしまいます。
民族は、単なる「人間の種類」ではありません。
そこには、
歴史、文化、言語、記憶、土地、家族、宗教、移動、そして「自分たちは何者なのか」という意識
が絡み合っています。
そして何より面白いのは、
人類が何千年もかけて、
「私たちは誰なのか?」
を考え続けていること。
もしかすると、人間という生き物は、
「自分たちって何者?」
という問題を、ずっと解いている途中なのかもしれません。
しかも、まだ答えが出ていません。
……人類、宿題を何千年やってるんでしょう。
でも、その終わらない宿題こそが、文化の面白さなのかもしれません。
世界を知る。
他者を知る。
そして最後に、自分自身を少し知る。
民族というテーマは、そんな「知の旅」の入口なのです。
よくある質問
民族とは簡単にいうと何ですか?
民族とは、共通する文化、言語、歴史、生活習慣などを持ち、「自分たちは同じ集団だ」と認識する人々のまとまりです。ただし、民族を決める条件は一つではなく、歴史や地域によって複雑に異なります。
民族と国籍は同じですか?
同じではありません。国籍は基本的に国家との法的な所属関係を指します。一方、民族は文化や歴史、言語、アイデンティティなどに関係する社会的・文化的な集団です。
民族によって性格は決まりますか?
決まりません。「○○民族は真面目」「○○民族は陽気」といったステレオタイプは、文化の傾向を考えるきっかけにはなっても、一人ひとりの性格を説明するものではありません。
民族を学ぶと何が面白いですか?
世界の文化を知るだけでなく、「自分が当たり前だと思っていることも、実は特定の文化の中で作られたものかもしれない」と気づけることです。