はじめに|「大丈夫かな?」から、いつの間にか哲学へ

不安が強くなったとき、こんなことを考えたことはありませんか?
「この先、自分はどうなるんだろう?」
「そもそも、人は何のために生きているんだろう?」
「幸せって何?」
「仕事って、本当に必要なの?」
「自分にとって大切なものって何だろう?」
……あれ?
最初は、
「明日の予定、大丈夫かな?」
だったはずなのに、気がついたら、
「人間とは何か」
まで話が広がっています。
脳内会議、壮大すぎます。
不安が強い時期に、哲学、心理学、宗教、歴史、宇宙などの「大きな問い」に興味を持つ人がいるのは、決して不思議なことではありません。
もちろん、不安症になった人が必ず哲学を学びたくなるわけではありません。
しかし、不安がきっかけになって「生きること」や「自分とは何か」を深く考えるようになることはあります。
今回は、その理由を少しコミカルに、そして科学・心理学的な視点から考えてみます。
そもそも不安とは何なのか?
不安は、簡単に言えば、
「まだ起きていない未来に対する警戒反応」
です。
人間の脳は、
「危険があるかもしれない」
と判断すると、その危険に備えようとします。
たとえば、
「明日のプレゼン、大丈夫かな」
「旅行中にトラブルが起きたらどうしよう」
「病気だったらどうしよう」
など。
まだ何も起きていないのに、脳は未来をシミュレーションします。
これは本来、生き延びるために役立つ能力です。
ところが、このシステムが過剰に働くと、
「未来を考える能力」→「未来を心配し続ける能力」
になってしまうことがあります。
人間の脳、便利なのか不便なのか分かりません。
① 不安になると「答え」を探したくなる
不安がつらい理由の一つは、
「どうなるか分からない」
ことです。
人間は不確実な状態を嫌いやすいため、
「原因は何だ?」
「どうすればいい?」
「これからどうなる?」
と答えを探そうとします。
最初は医学的な情報を調べていたのに、
「不安とは何か?」
↓
「心とは何か?」
↓
「意識とは何か?」
↓
「人間とは何か?」
↓
「そもそも人生とは?」
となる。
気づけば検索履歴が、
「不安 治し方」
から
「ソクラテス 人生」
に変わっています。
検索エンジンも困惑です。
② 「自分はどう生きたいのか?」を考えるようになる
不安が強くなると、それまで当然だと思っていた生活を見直すことがあります。
たとえば、
「今まで頑張ってきたけど、何のためだったんだろう?」
「本当にやりたいことは何だろう?」
「お金と時間、どちらが大切なんだろう?」
「家族との時間をもっと大切にしたい」
「もっと本を読みたい」
「世界を見てみたい」
など。
これは哲学の中心的なテーマとも重なります。
哲学は、
「どう生きるべきか」
という問いを長い歴史の中で考えてきました。
つまり、不安をきっかけに人生を見直していると、
自然と哲学の入り口に立っていることがあります。
③ 「自分の常識」が崩れることがある
人生には、
「こうするのが普通」
というものがあります。
学校に行く。
働く。
お金を稼ぐ。
結婚する。
家を買う。
老後に備える。
もちろん、こうした選択が悪いわけではありません。
しかし、不安や環境の変化を経験すると、
「ちょっと待って。そもそも、なぜ自分はこれをやっているんだ?」
と立ち止まることがあります。
これは哲学的な思考の始まりとも言えます。
哲学は、当たり前だと思っていることを、
「本当にそうなの?」
と問い直すところから始まります。
④ 不安から「世界を知りたい」に変わることもある
面白いことに、不安が強い時期に、
- 歴史
- 地理
- 宇宙
- 生物
- 文化人類学
- 心理学
- 宗教
- 哲学
などに興味を持つ人もいます。
一見するとバラバラです。
しかし、共通しているのは、
「自分が生きている世界を理解したい」
という好奇心です。
「自分の不安」だけを見ていると、世界がものすごく狭く感じられることがあります。
そこで、
「人間は昔からどう生きてきたんだろう?」
「他の国では人生をどう考えるんだろう?」
「宇宙から見たら人間って何なんだろう?」
と視野を広げていく。
すると、
自分の不安が、世界という巨大な地図の中の小さな一点に見えてくる
ことがあります。
これは哲学や教養を学ぶ面白さの一つです。
⑤ 哲学は「不安を消す魔法」ではない
ここは大切です。
哲学を学べば不安症が治る、というわけではありません。
不安が強く、生活に大きな支障がある場合には、医療機関や心理職などに相談することが大切です。
哲学は薬の代わりではありません。
ただし、
「自分は何を大切にして生きたいのか」
を考えるための材料にはなります。
そして、人生の問いに対して必ずしも「正解」が存在しないことを知るのも、哲学の面白いところです。
⑥ 哲学者だって、ずっと平穏だったわけではない
哲学の歴史を眺めてみると、人間の悩みは昔からあまり変わっていません。
「どう生きるべきか」
「死とは何か」
「幸せとは何か」
「自由とは何か」
「自分らしく生きるとは?」
現代人だけが悩んでいるわけではありません。
昔の人も、
「人生、これでいいのか?」
と考えていました。
スマートフォンはありませんでしたが、悩みはありました。
むしろ、
スマホがないのに悩んでいた。
これはなかなか強いです。
だから哲学書を読むと、
「2000年前の人も同じことで悩んでいる!」
と少し安心することがあります。
⑦ 不安になったからこそ「知りたい」が生まれることもある
不安は、もちろん苦しいものです。
だから、
「不安になったことにも意味がある」
と無理に美化する必要はありません。
ただ、その経験をきっかけに、
「もっと世界を知りたい」
と思うようになることはあります。
それまで仕事や日常生活だけでいっぱいだった視線が、
歴史へ。
文学へ。
哲学へ。
科学へ。
そして世界へ。
少しずつ広がっていく。
これは、
「自分の人生だけを見る」状態から、「人間全体や世界を見る」状態への移動
とも考えられます。
⑧ 「不安をなくす」より「不安と一緒にどう生きるか」
哲学を学んでいると、ある意味で面白いことに気づきます。
人間は、
完全に不安をなくして生きることは難しい
ということです。
将来のことは分かりません。
病気になる可能性もあります。
仕事がどうなるかも分かりません。
社会や世界情勢も変わります。
だから、
「絶対に不安にならない人生」
を目指すより、
「不確実な世界で、自分はどう生きたいのか?」
と考えるほうが、現実的なのかもしれません。
ここから哲学が面白くなってきます。
⑨ 「不安な人」と「哲学好き」は、意外と相性がいい?
もちろん全員ではありません。
しかし、不安が強い人の中には、
「物事を深く考える」
という傾向が強く出ることがあります。
「なぜ?」
「本当に?」
「もし○○だったら?」
と考える力です。
この力は、不安を増幅させる方向に働くことがあります。
一方で、
科学を学ぶ。
哲学を読む。
歴史を調べる。
文章を書く。
世界の文化を知る。
という方向に向けると、
「考えすぎる力」が「考える力」に変わる
可能性があります。
もちろん、これだけで不安症が治るという意味ではありません。
でも、
「考えてしまう自分」
を完全に敵にする必要はないのかもしれません。
まとめ|「不安」が「知の旅」の入り口になることもある
不安が強くなると、
「この先どうなるんだろう?」
と未来について考えることがあります。
そして、その問いが、
「そもそも、どう生きたいんだろう?」
「幸せって何?」
「人間って何?」
という、より大きな問いにつながることがあります。
そこから哲学、心理学、歴史、科学、文学などに興味を持つ。
つまり、
「不安の旅」が「知の旅」に変わることがある。
そんな見方もできるでしょう。
もちろん、不安で苦しんでいるときに「勉強すればいい」と簡単に片づけることはできません。
つらいときは休むことも大切です。
医療機関に相談することも大切です。
そのうえで、少し元気が戻ってきたとき、
一冊の哲学書を開いてみる。
図書館で歴史の本を手に取ってみる。
世界地図を眺めてみる。
宇宙について調べてみる。
すると、
「自分の不安」だけだった世界に、少しずつ「世界そのもの」が戻ってくる。
そんなことがあるかもしれません。
そして最後に、哲学っぽいことを一つ。
「なぜ不安なのか?」と考え始めたら、いつの間にか「どう生きたいのか?」を考えている。
人間の脳は、ときどき面倒くさい。
でも、なかなか面白い生き物でもあります。🌏📚
よくある質問
不安が強い人は哲学を学びやすいのでしょうか?
必ずしもそうとは限りません。ただ、不安をきっかけに人生や自分自身について深く考えるようになり、哲学や心理学などに興味を持つ人はいます。
哲学を学ぶと不安症が治りますか?
哲学を学ぶこと自体が不安症の治療になるとは言えません。不安によって日常生活に支障がある場合は、医療機関などに相談することが大切です。哲学は、人生や価値観について考えるための「知的な道具」の一つとして楽しむのがよいでしょう。
不安になりやすい性格は悪いのでしょうか?
必ずしも悪いものではありません。慎重に考える力や、物事を深く考察する力につながる場合もあります。ただし、不安や心配が過度になって生活に支障をきたしている場合は、性格の問題として我慢せず専門家に相談しましょう。

